この看板間違っています。古い文献を調べて分かりました。
山本梅岳ではなく 「山本梅崖(やまもとばいがい)」 が正しいと思われます。
山本梅岳って誰?
で、インターネットで山本梅岳を調べたところ、この看板を引用したと思われる情報ばかりヒットし、これ以外の情報は何一つ得られませんでした。
日本の全ての出版本が集められているという国立国会図書館の検索でさえ、文献としての情報が得られなかったのです
ならば、郷土史の文献を一つ一つ内容を調べるしかありませんでした。それで、東灘区の図書館に行ってみました。しかし、蔵書の数が少なく結局、神戸市立中央図書館の方に行って調べてきました。
おぉぉ・・、あった!
結論から言うと、この看板の文章はまちがっています。昭和28年7月30日発行の「本山村誌」 非売品 の文章を引用したらしく、これが間違っていた様です
(根拠その1)
下画像は、神戸市中央図書館の蔵書「本山村誌」昭和28年7月30日発行 編纂人:本山村誌編纂委員会 發行人:本山村誌編纂委員会 委員長 林 勇次郎 印刷所:株式会社弘文堂印刷所 京都市左京區田中西浦町四十
本線脱線の余談:この本山村誌によると林勇次郎は第十代村長さんです、さらに看板の中に出てくる増田太郎右衛門は第六代村長さんということが分かりました\(^o^)/
本山村誌を印刷する時、手組み植字する段階で誤ったものと思われます。
どう考えてみても山本梅崖(やまもとばいがい)が正しいようです
ウェブで山本梅岳を検索すると、この看板を引用した文章ばかり出てきますが、全て間違いという事になります。
Wikipediaのウメ も、この文章を丸々引用しているので間違っている事になります Wikipedia は修正しました
神戸市の公園なので神戸市建設局公園部にはこの件についてメール送信しております・・・ので、たぶん調査の上、しかる時期に修正されるものとは思いますが・・・・(この件、一番下に追記あり、解決!)
山本梅岳という人はいません
あの看板がいつ立てられたのかは知らないが、昭和57年2月となっているという事からして、34年間ずっと間違っていたことになります。
山本梅岳の件、すべてはこの本(本山村誌)が間違っていた事に始まります
しつこい様ですが、もう一度書いておきます「山本梅崖(やまもとばいがい)」が正しい!
下の画像のように、索引ではちゃんと正しく「山本梅崖・・・P.627」と載っているのに本文中ではなぜか山本梅岳に _| ̄|○
またまた、どうでもよい余談になりますが、本山村誌の索引はアイウエオ順ではなくイロハ順でした。昭和だなぁ・・(^_^;)
(根拠その2)
更に参考としてもう1冊。神戸市中央図書館の蔵書(館内閲覧のみ)持出し禁止書籍
「小羅浮 (しょうらふ)」著者:鹿岳光雄、にも山本梅崖の名前が・・・
「岡本梅林記」P.105-P.106 この漢文が看板にもある「岡本梅林記」の様です。
羽柴秀吉の話も書かれていますね。この部分では「本山村誌」は「小羅浮」を参考にしているようです。
この漢文は「本山村誌」P.627に下記の様に分かりやすく書かれています
羽柴秀吉が行軍の途上、岡本部落邉を通過し、軍兵の渇を止めるため「前に梅林あり、まさに子を結ぶ、甘酸啖可し」と傳えたところ、士卒は、口中に水を生じ、渇が止つたと言う傳説を記しているから、かなり古くから存在したものの様である。
昭和8年2月11日発行(1933年)の「小羅浮(しょうらふ)」岡本梅郷保勝記 著者:鹿岳光雄
(上画像は神戸市中央図書館蔵書「小羅浮」の最後の見開き2ページのコピー)
P.105からP.106 この岡本梅林記に関する文にも梅崖山本憲の名前が出てきます(最後の行)
山本梅崖についてはウェブ検索で調べてください。おそらくいっぱい出てきます
いろいろと調べていると更に疑問が出てしまう_| ̄|○
最後の10文字はどういうことだろう。どこが区切り??
七十三叟月香田淵恒書 ?? あぁ、わからない _| ̄|○
小羅浮の著者、鹿岳光雄さんが生きておられたら聞いてみたい所ですが・・・
田淵恒(太郎)?・・・山本梅崖ではなく元は田淵恒(太郎)書なのか?月香は雅号?73才の・・
梅崖山本憲撰って書いてるし・・・
あぁ、わからない。・・・この岡本梅林記の漢文、よくよく読んでみると小羅浮に噛み砕いて書いてた様に思う・・・図書館でざっと一読しただけなので細かく覚えていないが・・
ケチらずに全頁コピーすればよかったなぁ・・・_| ̄|○
まぁ、この疑問は置いておいて・・おいおい調べる事にしよう・・
(2016.2.14追記 この件もほぼ解決 → → → 詳しくはこちら)
(2020.6.29追記 最下のがらん様コメント参照)
で、・・・
少なくとも山本梅岳の件は間違った看板ではないかと思われるので、もう一度検証いただき間違いであるなら、この時期大勢の人が岡本公園を訪れてあの看板を見ることになると思いますので早く訂正してもらいたいものです(ウィキペディアもね) Wikipedia は修正されました
神戸市の公園の事なので、神戸市建設局公園部あてに表示まちがいの指摘メールをおくりましたので、調査後しかるべき時期に修正されるものと期待しております。すぐにメール受け付けの確認自動返信メールは来ました(@_@)が・・(この件、一番下に追記あり、解決しました!)
進展があれば此処とFacebookの方で報告いたします
以上
(2016.2.11追加)
これまで分かっている事(敬称略)
山本梅崖(1852-1928)
田淵恒太郎(1830- ) 兵庫県印南郡東西神吉村長、藍綬褒章受章者(明治25年)
鹿岳光雄、小羅浮、宝積寺、岡本の梅
更に岡本梅林記も分かりました
(2016.2.19追記)
神戸市建設局東部建設事務所公園緑地係の担当者様より本日回答メールいただきました。
「現地にて表記の誤りを確認しましたので取り急ぎ応急的な表記の訂正を行い、後日最終訂正を行います。ご連絡ありがとうございました。」との事でした。
正直もっと時間を要するかと思っていましたが、素早い対応をとっていただけましたm(__)m
今回1つの単純な疑問(山本梅岳って誰?)から調べて行くうちに誤りである事に気が付きました。インターネットのお陰でなんでもクリック1つで分かるように思っていますが、重箱の隅をつつくような事は最終的に自分の足と目と想像力で調べる事も大事だと改めて思いました。
\(^o^)/
図書館で文献を調べ正解を見つけた時点でこの件は私の中で終わっていますので、神戸市建設局に連絡しないで、あの案内看板を見た人が疑問に思うように誤記を残しておいた方が良かったのかなぁ?などと思ったりもします。ちょっと、意地悪かなぁ・・・
ひょっとして、岡本梅林の関係者はこの誤りはとっくにご存知で、いろいろ調べる事を期待していたのかなぁ・・・なわけないか・・・(爆)
(2016.2.21追記)
天気が良かったので確認してきました、観梅の人たちが大勢訪れていました。来週は梅まつりなので本日の比ではないのだろうなぁ・・。文字は下画像通り応急的に修正されたようです。
この件に関してのご意見はコメントを残していただくか、メールをください
2021.02.23 久しぶりに岡本公園に行き撮影 綺麗に直っていました
梅岳でたどり着きました。熱心な調査ですね。
七十三叟月香田淵恒書
七十三叟、月香、田淵恒、書 (73の老人、号月香、田淵恒太郎が書く)
梅林記の文章は山本梅崖が作ったものですが、「小羅浮」に引用したものは梅崖の文章を田淵恒太郎の筆によって書かれたものがもとになっているという意味です。田淵恒太郎が梅林記を作ったという意味ではありません。
ご参考まで、立ち寄りのお土産です。
がらん様 閲覧、コメントありがとうございます
岡本商店街会長ご案内で、岡本公園の梅の見学会があり、たまたま見た看板の山本梅岳の名前を目にしたのがはじまりでした。WEBで調べても満足な答えが出てこなかったので調べました。意外と早く答えに辿り着いたのはコンテンツ通りです。本山で育ち60年あまり、地元愛?もありますのでとことん調べましたw