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ヘボソ塚(扁保曽塚)古墳

hebosohi

扁保曽塚址と彫られた石碑。現在は駐車場の横に置かれている。詳しくは下の地図を見て頂きたい。ほとんど通る事のない小径なので、石碑が在るとは知らない人が多いかもしれない。

へボソ塚説明文、「岡本のオサパに立てる・・・」はオサパではなくオサバですなぁ。間違ってますよ _| ̄|○
摂津名所図会に扁保曽墓の項に『岡本の袁佐婆(おさば)に立てる扁保曽塚、布織る人は岡本にあり』と書いてあります
まぁこんな話はどうでもいい。良くある間違いだ! とはいえ、ちゃんと校正しなさい!と言いたい…
下画像は摂津名所図会・武庫郡菟原郡。七ノ二十九の見開き左ページより

兵庫県の史蹟名勝天然記念物調査報告書(大正14年5月)の文献の中に扁保曽塚の記事があったのでコピーを貼り付けておく

ちょっと読みづらいので、時間が出来たらPDFにでもしてみようか…

ここにも誤りか?

このヘボソ塚は字名マンパイという所にあったらしい。が、上の文章はマンバイとなっている

マンパイが正しいのかマンバイが正しいのか?

本山村誌ではマンパイとなっていたが・・・本山村誌は昭和28年発行だし・・・

こちらは大正14年発行の物だからやはり字名はマンバイと言っていたのだろうか・・・

岡本は嘗て梅の産地だったことからやはりマンバイ=万梅 だろうか。数万樹の梅が植わっていたという話もあるので、マンバイと言っていた方が自然かもしれない

歴史家、郷土史研究家の田辺眞人氏もマンパイといっていたような・・・
また、宝積寺の和尚、鹿岳光雄さんもマンパイと言っていたような?? まぁ、マンパイでもマンバイでもどちらでもいいのだけれど本当はどうなのだろう?? 謎 もっと古い文献があれば分かるかも知れない・・・・

宿題にしておこう

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